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第一話十章 出発と到達時刻

銀河鉄道の出発日時を何時と想定し、賢治氏はこの物語を構築していったのであろうか。


五、天気輪の柱

ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。
(中略)
そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。

「銀河鉄道の夜」より



丘の上に身を投げ出した状態で夜空を見上げると、通常は、天頂を中心とした星空が視野に入ってくる。
この章の最初に「牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は・・・」と書かれているため、丘の傾斜などによる視野の角度は考慮しなくても良いものと解釈できる。
丁度、琴座アルファ星のベガが最も天頂に達する時刻は、20時36分(大正11年8月16日)である。

一瞬、この時刻が銀河鉄道の発車時刻かと考えるのであるが、「九、ジョバンニの切符」の中に「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」
というカンパネルラの父親の言葉がでてくる。
つまり、ジョバンニとカンパネルラの時間軸は同一ではなく、ジョバンニが未来へとワープしたものとも推定される。
また、ジョバンニとカンパネルラが同一時間軸で動いているのであれば、後述の時間とかみ合わなくなってしまう。

ここに、大正4年に発表されたアインシュタインの「一般相対性理論」を賢治氏が読んでいた可能性が出てくる。
相対性理論についての詳細は、私の頭で到底理解できるものではない故、概要すら述べられないのだが。。。

同じ時間でも、動いている時の方が、時間が早く流れるということだ。
例えば、一人が立っていて、もう一人がその周りを走り回っていたとする。
すると、同じ時間が経過たようでも、走り回っている人の時間の方が進んでいるという理論である。
つまり、川に入って、動きが止まってしまったカンパネルラより、黒い丘の方へ走っていったジョバンニの時間経過の方が早かったということになり、結果として、カンパネルラの時間をジョバンニが通り越してしまったとも捉えられるのである。

「六、銀河ステーション 」の中に「けれど構わない。もうじき白鳥の停車場だから。」とカムパネルラはジョバンニに話しかけている。

この後、物語の中に「北十字」が出てくる。
「北十字」とは白鳥座の別称である。
また、キリスト教では、キリストが磔にされた十字架としてとらえることもあり、死の意味もある。
そして、ギリシャ神話では、大神ゼウスの化身とされるも、オルフェウスにまつわる逸話もある。


琴の名手、オルフェスの妻がヘビに噛まれて死んでしまった時、何とか妻を蘇らせたいと願い、天国の門まで行き、門を開けてくれるよう門番に頼む。
しかし、門を開けてもらえなかったため、琴を弾くと、悲しみが満ち溢れ、門を開けてもらえた。
黄泉の王に、妻を連れて帰れるようお願いするも、聞き入れてもらえず、再び琴を奏でる。
すると、地上に戻るまでの間、妻の方を振り返らなければ、願いを聞き入れようと言われる。
ようやく地上に近づいたオルフェスは、嬉しさのあまり、つい振り返ってしまい、妻は消えてしまった。
悲しみのどん底に突き落とされたオルフェスは、ついに川へと身を投げてしまい、これを哀れんだゼウスは、彼を天上へと上げて、星にした。


この星こそが、琴座の「ベガ」である。

如何であろうか。
琴座を軸として、白鳥座へとワープするというルートは、ここにある。
また、賢治氏は、妹トシ氏の死と、このオルフェスの神話を重ねていたのかもしれない。
妹の回復を仏様に祈るとともに、何らかの願掛けを行い、それが報われなかった、あるいは、願掛けの掟をやぶり、結果として、トシ氏の死が訪れたというような懺悔的なものも、見え隠れしてならないのである。

更に、白鳥座の中には、「コール・ザック」という暗黒星雲があり、これは通称「石炭袋」と呼ばれている。

石炭を搭載するのは駅と考えるのであるが、

「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。
「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが云いました。


という一説がでてくる。
これは、賢治氏が意図的にかけたものなのか、あるいは、このブラックホールを天気輪から至る現世と死後の世界をつなぐ出口(入口)と考えたかのどちらかなのであろう。決して偶然ではない。

これらのことを推測すると、現世から天気輪の入口に入り込んだ時間は、大正11年8月16日20時36分、ないし、大正12年8月16日20時32分と推測できる。
尚、大正10年・13年については、月出のため、推測範疇からは除外してあるが、これは、第六章で記載したとおり、「月夜でないよ」と書かれているためである。

また、日付については、盛岡で「舟っこ流し」を見ていたであろう氏の体験と、「烏瓜のあかりを川へながしに行く」ということから、旧盆の8月16日とした。

では、天気輪、あるいは、石炭袋を通過し、四次元空間である銀河に到着した時刻は何時なのであろうか。

ベガが天頂に一番近づく時刻に45分を加算すると、大正11年で21時21分、大正12年で21時17分となる。
そして、白鳥座の口ばしに位置するベータ1星のアルビレオが、最も天頂に近づくのは、21時30分(大正11年)、21時31分(大正12年)となる。
これに、カンパネルラの父親が駆けつける時間なども、若干加味すると、この時刻が、ジョバンニが銀河ステーションに到達した時刻なのではないのだろうか。

「もうじき白鳥の停車場だねえ。」
「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」


という会話も登場する。
この2年とも、白鳥座の中心部分が最も天頂に近づくのは、この時間である。
これを元に逆算しても、この銀河ステーションに到着した時間といのには、信憑性を感じるのであるが。。。


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