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第一話十一章 出発と到達時刻 (更なる可能性)

「ジョバンニ」と「カンパネルラ」。
この二人は、賢治氏と妹トシ氏とする説もあるが、賢治氏はどこから二人の名前を命名したのであろうか。
これらのことについては、後述するとして、「ジョバンニ」という名前は、「聖ヨハネ」のイタリア名であるとされている。
そして、西洋では、ヨハネの生誕日にあたる6月24日には、「聖ヨハネ祭」(夏至祭り)が盛大に行われる。

そこで、大正11年6月24日の天体図を用いて、星座の動きを検証してみると、琴座のベガが天頂に到達する時間は、翌日の0時8分。
更に、白鳥座のアルビレオが天頂に達する時間は、翌日の1時2分となる。

これは、西洋で一般的な「聖ヨハネ祭」ということで、新暦を用いてみたものであるが、これを旧暦にあたる7月24日で検証してみると、実に面白い結果が出たのである。




つるちゃんのプラネタリウム」使用


これは、23時の天体図である。
この日、琴座のベガが天頂に到達する時間は、22時4分。
そして、この時間、わずかではあるが、ケンタウルス座も地平線から見えるところに位置している。
更に、白鳥座のアルビレオが天頂に達する時間は、23時ジャストで、この時間の白鳥座は口ばしを南に向け、11時(23時)の方向を向いているのである。

こう考えると、この物語は大正11年6月24日と考える方が妥当であるのだが、出発時刻をベガが天頂に到達する22時4分とするには、牛乳を取りにいったジョバンニが丘の上に寝転ぶには遅すぎるという疑問が生じてくる。
そこで、この時間から45分を引いてみると、21時22分という時間になり、ベガは天頂には至っていないものの、東西線に対して水平になっている。
つまり、ジョバンニが丘の上に寝転び、天気輪からワープを始めた時刻は21時22分で、銀河ステーションに到達したのが22時4分ということも考えられる。
そして、白鳥座のアルビレオから乗車し、11時きっかりに白鳥座へ到着する。
天文に関しては、かなり精通していた賢治氏のこと。
難しいことは抜きにして、以外と遊び心をも持ち合わせていた氏が、こんな要素を組み込んでいたとしても、おかしくはない。

そして、烏瓜を流すというケンタウルス祭は、送り盆の「霊や魂を弔う」という意味合いを残しつつ、違ったものとして、物語に登場させたものという解釈も出てくる。

尚、妹のトシ氏は、大正11年11月27日20時30分に逝去されているが、この時刻の天の川は、東西に流れているため、この日の天体図を用いたということはないと考えられる。


考 察 の 整 理
(構成上の日時)

北上川に映し出された銀河を眺めたことにより、発想されたであろう物語だが、実際の天体図を用いて、この物語を構成したのは、旧暦に基づく大正11年の夏至祭りか送り盆の日であると推測される。
ただし、白鳥座の中心に位置するザドルが天頂に達する時間は、かなり遅い時間であることから

「もうじき白鳥の停車場だねえ。」
「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」


という会話が示す11時ジャストは、アルビレオのことであるという解釈の方がつじつまが合う。
そこで、この物語は、大正11年7月24日の天体を舞台に描かれたものであるという結論に達するのである。

しかし、何故旧暦のこの日の天体図を用いたのかという疑問が生じるのであるが、可能性として、

1.賢治氏にも以外とのん気な面があったようで、うっかり、新暦の夏至祭を見過ごし、旧暦の同日の星空を観測した。
2.新暦の夏至祭の夜は、雨天等のため、星空が観察できなかった。
3.当時、日本の伝統的行事だけでなく、西洋の行事に対しても旧暦を用いて行っていた。

という点が挙げられるのであるが、この物語に「星祭」という言葉が登場することなども考慮すると、七夕・盆だけ旧暦で行い、夏至祭りのみ新暦で行うというのも、不自然であり、ごく普通の感覚として、旧暦を用いたのかもしれない。

しかし、ここでも、いくつかの疑問が生じるのである。


おことわり : 「つるちゃんのプラネタリウム」を使用するにあたり、その経度緯度については、盛岡を基点としてシュミレーションしている。

賢治氏の生家のある花巻市豊沢町の位置は「東経141.7、北緯39.2」、盛岡市主要部(盛岡駅近辺)は「東経141.9、北緯39.4」であり、距離にすると、35.5kmほど離れていることになる。
日本の場合、約20km移動するごとに、星の表示時間は1分ほどずれていく。

このため、賢治氏が花巻のものを用いたとすると、この検証に利用した盛岡のものとは、1分半ほど時間がずれることになるが、牛舎と小高い丘が登場することから、天気輪の丘の舞台は「小岩井牧場」ないし「盛岡近辺」であると推測されるため、賢治氏が意図をもって、盛岡の天体図を用いたと推測したことによる。
(この地点については後述する)

これは、「銀河鉄道の夜」+「北上川」=「花巻の時間軸」 と考えるよりも 「天気輪の丘」=「小岩井牧場」ないし「盛岡近辺」=「盛岡の時間軸」 と考えた方が自然と感じたためである。



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