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第一話十二章 出発と到達時刻 (再検証)

十一時きっかりに着く白鳥の停車場がアルビレオのことを指すとすれば・・・。

九、ジョバンニの切符

「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」
窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼もさめるような、青宝玉と黄玉の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環とができました。それがまただんだん横へ外れて、前のレンズの形を逆に繰り返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡っているように、しずかによこたわったのです。
「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」鳥捕りが云いかけたとき、
「切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子をかぶったせいの高い車掌が、いつかまっすぐに立っていて云いました。



「銀河鉄道の夜」より


白鳥の口ばしにあたるところに位置するアルビレオは二重星で、黄玉色とサファイア色から天上の宝石とたとえられている。
肉眼では難しいが、30倍ほどの小口径の望遠鏡でも、二重であることが確認できる。
更に、賢治氏が表現したように、黄玉色の方は見かけ等級3.1等あるのに対し、トパーズ色の方は見かけ等級5.1等で、地球より385万光年離れている。
(黄玉とはトパースの和名である。)




つるちゃんのプラネタリウム」使用


上の天体図は、大正7年8月6日23時のものである。
この天体シュミレーションソフトは1901年から稼動できるようになっているため、賢治氏の誕生年である1896年(明治29年)からは検証できないのであるが、この1901年から大正13年の間で、白鳥座の構成星が23時きっかりに天頂に達し、月出でない日を探してみたところ、一致したのがこの日なのである。
そして、一致したのは中心に位置するガンマ星のサドル。
この日、琴座のベガが天頂に達するのは21時15分。

更にもう一日一致する日がある。
大正7年8月11日がこれにあたるが、23時ちょうどに天頂に達するのは、尾の位置にあたるアルファ星50番星のデネブである。
この日、ベガが天頂に達するのは、20時56分。

ここで、一つの疑問が生じる。
この章の最初の文章は、十一時きっかりに着く白鳥の停車場を出発した後のことである。
つまり、十一章で述べたように、23時きっかりに天頂に到達するのがアルビレオでは、おかしいことになってしまうのである。

また、天体での銀河の動きは、反時計回りである。
故に、銀河に対してほぼ平行に位置している白鳥座では、サドルやデネブよりアルビレオの方が早く天頂に調達する。

銀河の中の白鳥座に、現世の時間を用いると、「まったくその中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。」という一節と反比例してしまうことになる。
こうなると、銀河鉄道の軌跡は、現世の時間軸とは一致しないということになる。

尚、白鳥座には、通称61番星と呼ばれる人類が最初に伴星を見つけた恒星があるが、白鳥の翼(東側)に位置するためか、この物語には登場していない。

考 察 の 再 整 理
(構成上の日時)

もし、ジョバンニが、デネブより北に位置するところから銀河鉄道に乗り込んだのであれば、デネブを何事もなしに通り過ぎるということは考えにくい。また、このデネブを白鳥の停止場とするのであれば、中心に位置するサドルも同である。
更に、十章に登場した石炭袋は、サドルの東側に位置することからも、ここを通過し、デネブからサドルに向かっている汽車に乗り込み、サドルでいったん下車すると考える方が適切であろう。
しかも、この時間、アルビレオ・サドル・デネブの3星は、見事に11時の方向へと並んでいるのである。


以上のことから、23時きっかりに到着する白鳥の停車場とは、サドルのことではないだろうか。
そして、ベガが天頂に達した時間から、ちょうど1時間45分経過した時間が、サドルへの到着時間となる。

更に、もう一つ、面白い点があることにも気づく。
この物語の想定は、七夕・聖ヨハネ祭・盆のいずれかと推測するのが一般的であるのだが、この日は七夕よりも一日早いのだ。
これについては、どうして、この日時かということが分からないのであるが、23時20分にサドルを出発した汽車は、再び冒険へと旅立つ。
そして、この後にタイタニック号を彷彿させる物語の進行時間等を考慮してみると、すでに午前0時を経過していることとなる。
つまり、6日より7日の日の出来事の比重の方が重いのである。
このため、七夕の翌日にかかる出来事としてではなく、七夕当日の出来事として、その日の星の動きを再現したかったのではないのだろうかとも思えるのであるが、これは考え過ぎであろう。
キリスト教では、その当日よりも、前夜祭を盛大に行う。
そして、この物語にも「星祭り」という言葉が出てくる。
ここは、単純に、クリスマスと同様、前夜祭と考えて間違いなのであろう。
尚、これを検証した大正7年は、賢治氏が童話創作を始め、「蜘蛛となめくじと狸」、「双子の星」などを家族に読み聞かせた年である。
この童話を創作するにあたり、星を観測し、その時のデータを基に「銀河鉄道の夜」を構築していったでないかという推測に至るのである。

区切りライン

「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」というところが、アルビレオの観測所にでてくるが、これは、生前の善悪を計るところで、ここで切符を手に入れたのであろうと推測するのである。


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