ページトップへのバック用アイコンTOP > 箱庭の賢治氏
第一話十四章 第二時

「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」と、この時間にさまざまな意味がこめられていた作品。
きっと、「鷲の停車場」に到着する「第二時」にも、何か意味があるに違いない。

九.ジョバンニの切符

そのとき汽車はだんだんしずかになっていくつかのシグナルとてんてつ器の灯を過ぎ小さな停車場にとまりました。
その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示しその振子は風もなくなり汽車もうごかずしずかなしずかな野原のなかにカチッカチッと正しく時を刻んで行くのでした。
そしてそのころなら汽車は、新世界交響楽のように鳴りました。車の中ではあの黒服の丈高い青年も誰もみんなやさしい夢を見ているのでした。
(こんなしずかないいとこで僕はどうしてもっと愉快になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい、僕といっしょに汽車に乗っていながらまるであんな女の子とばかり談しているんだもの。僕はほんとうにつらい。)ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして向うの窓のそとを見つめていました。すきとおった硝子のような笛が鳴って汽車はしずかに動き出しカムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛を吹きました。

「銀河鉄道の夜」より



「つるちゃんのプラネタリウム」を使用し、大正7年8月7日午前2時の星図を見ても、この時間、特定の星座が天頂に達するとか、2時の方向に示されるとか、ある訳ではない。
しかし、賢治氏のこと。
指定した「第二時」には、どのような意味がこめられているのであろうか。
この時間、表示される星座に特変はみられないものの、ここに惑星情報を表示させてみると、実に興味深い結果が得られたのである。


木星位置イラスト


この時間、地平線へと木星が出現し、それは10時の方向である。
一見、「第二時」とは無縁にも思えるのであるが、これは、四次空間でのできごと。
すなわち、現世とあの世が一体となったところであり、これをメビウスの帯に例えてみる。

「〜だんだんしずかになって〜うごかず〜しずかなしずかな野原みんなやさしい夢を見ている〜こんなしずかないいとこで〜」

ここは、ちょうど、より生に近い輪の表面から、あの世であるメビウスの帯の裏側に入り込んだところではないだろうか。
そして、裏側から現世の時計を覘いたとしたら・・・。

ちょうど、2時の方向に見えるのが木星なのである。
そして、賢治氏にとって、木星とはどんな意味があったのであろうか。。。


風 鈴

とし子とし子
野原へ来れば
また風の中に立てば
きっとおまへをおもひだす
おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
鋼青壮麗のそらのむかふ

「春と修羅」無声慟哭より



太陽系の惑星は、神話の神々から名前がつけられている。
そして、北欧神話に基づく、これらの呼び名が各曜日の語源となっている。
木曜日は「Thursday」で、これは雷神トール(Thor)に由来するものである。
トールは、戦神または農耕の神とされており、ラグナレク(世界の終わり)まで、神々の世界を守る神である。
一方、木星は「Jupiter」で、ギリシャ神話では大神ゼウス、ローマ神話ではユピテルとなる。
更に、古代中国では、人々の運命を支配する星として、崇められていた。

この時間の木星は、ちょうど銀河の川幅の真ん中あたりに位置し、このまま、南半球を経て、再び、同時刻のこの位置に戻って来られるとすれば、木星の裏側に到達できることになる。
しかし、星々の動きと惑星の動きは相違しており、この時間帯を逃せば、再び、銀河と木星が同じ場所に位置することはない。

ここに、妹トシ氏の姿が見え、いかに、第四次元空間といえども、過ぎ去ってしまった過去を元に戻すことはできないという賢治氏の苦悩がみえるような気がするのである。
また、ドボルザークの「新世界交響曲」を氏が聴いたことにより、修正された部分でもない。
多少の表現は加除されているが、最初稿から最終稿にいたるまでの10年間という歳月の中で、ここに登場する「第二時」と「新世界交響楽」は、変わっていないのである。

この「第二時」が示しているのは、曜日に由来するトールではなく、過ぎ去った過去の運命を決定した木星、あるいは、全てを支配する大神ゼウスなのでは、ないだろうか。
ただし、時計の方向に存在する事象というものは、11時の白鳥座の向きと同様、二次的に付加されたことなのであろう。

では、「第二時」に到着するという「鷲の停車場」とは、どこを指すのであろうか。


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