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第二話十八章 並木道
ジョバンニが歩く街の中には、いくつかの並木道が登場する。
故に、これがどこだか、見当がつけば、さまざまな場所を確定できるのであるが。。。
以下は、この物語に登場する並木道を表現した箇所である。

檜のまっ黒にならんだ町の坂を下りて来たのでした・・・

電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山の豆電燈がついて・・・

いつか町はずれのポプラの木が幾本も幾本も、高く星ぞらに浮んでいるところ・・・



そこで、昭和3年の「盛岡市外鳥瞰図」(岩手県の百年:表装)に、描かれている並木道を示してみる。


鳥瞰図からの並木道1
鳥瞰図からの並木道2


この表示から神社仏閣にある防風林などは除いて表示させてみたものである。
城跡の堀を埋立てたこととか、わざわざ植林しなくても、街が山に取り囲まれていることなども由来しているのだろうが、実に少ないのだ。
丁度、背表紙にかかり、図自体が切れてしまっいるものの、城跡(岩手公園)以外に、目だったものは、ほとんどみられない。
図右下にみえる北上川沿いのものは、他の地図によると、杉土手と記載されている。

「ヒバ」は日本だけに分布するヒノキ科アスナロ属(ヒノキアスナロとアスナロに分類)のことであるが、岩手県を含む東北全域では、「ヒバ」を「ヒノキ」と呼んでいる。
この「ヒバ」であるが、平成8年国有林野事業統計書によると、全国に15,255千m分布しているうちの12,528千mは青森県で、岩手県には、わずか571千mしか分布していないのである。


ひのきの歌

第一日昼
なにげなく窓を見やれば一〔ひと〕もとのひのきみだれていとゞ恐ろし
あらし来んそらのうす青なにげなく乱れたわめる一もとのひのき
風しげくひのきたわみてみだるれば異り見ゆる四角窓かな
(ひかり雲ふらふらはする青の虚空延びたちふるふ みふゆのこえだ)
第二日夜
雪降れば昨日のひるのわるひのき菩薩すがたにすくと立つかな
わるひのきまひるみだれしわるひのき雪をかぶればぼさつ姿なり
第三日夕
たそがれにすつと立てるまつ黒のひのきのせなの銀鼠雲
たそがれにすつくひのき立ちたれば銀鼠雲はせなを過ぎ行き
窓がらす落つればつくる四角のうつろうつろのなかのたそがれひのき
第四日夜
くろひのき月光澱む雲きれにうかゞひよりて何か企つ
しらくもよ夜のしらくもよ月光は重し気をつけよかのわるひのき
第五日夜
雪融けてひのきは延びぬはがねのそら匂ひいでたる月のたわむれ
うすらなく月光瓦斯のなかにしてひのきは枝の雪をはらへり
(はてしらぬ世界にけしのたねほども菩薩身をすてたまはざるはなし)
第六日昼
年若きひのきゆらげば日もうたひ碧きそらよりふれる綿雪
第六日夕
ひまはりのすがれの茎らいくたびぞ暮のひのきをうちめぐりたる
第七日夜
たそがれの雪にたちたるくろひのきしんはわづかにそらにまがりて
ひのきひのきまことになれはいきものかわれとはふかきえにしあるらし
むかしよりいくたびめぐりあひにけん。ひのきよなれはわれをみしらず
X日
しばらくは試験つゞきとあきらめて西日にゆらぐ茶いろのひのき
ほの青きそらのひそまりとびもいでん光の踊りみふゆはてんとてか

(大正六年一月)



これは、賢治氏が盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)2年生の時に詠んだもので、この歌に詠まれたヒノキの木は、今も学校に残っており、樹齢も100年を超えたそうである。
賢治氏は、やはり「ヒノキ」と「ヒバ」を分別しており、「ザネリは向うのひばの植った家の中へはいっていました。」というように、「ヒバ」は「ヒバ」として、別に登場している。

いずれにせよ、「檜のまっ黒にならんだ町の坂」の自宅を見つけないことには、なかなか先に進めないと思っていたのであるが、この街の並木道を大正9年刊行の「盛岡市街府瞰図絵」にて検証していたところ、とんでもないものを見つけたのである。


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