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第一話十九章 彗星

もし、賢治がハレー彗星を目撃していれば、ハレー彗星という周期性ををもつ天体を通じて賢治とのほんのささやかな接点を共有することができることになるのではないか・・・・・。私の勝手な思い込みに斉藤先生の答えは無情にも「否」であった。弟さんの宮澤清六さんにこの点についてただしてみたところ「兄からハレー彗星の目撃談を語り聞かせてもらったことは一度もない」との答えが戻ってきたのがその根拠だということであった。作品中に登場してこないのもその事実を物語っているのではないかとのことであった。

「 宮澤賢治 星の図誌 」 より引用
斉藤文一氏・藤井旭氏著 平凡社


ハレー彗星が地球に大接近したのは、明治43年5月19日のことであった。
この日の日没後は、西の地平線近くから、銀河・ふたご座・木星を横切り、ほぼ180に渡り、東へと伸びる長い尾が観測されたという。
当時、賢治氏は中学2年生で、この年の6月には岩手山に初登山もしている。
この時は、尾に毒ガスが含まれていて、この世の終わりになるという噂が流れ、多くの人々を不安へと陥れたが、好奇心旺盛な賢治氏がこの噂を信じ、どこかに引きこもってしまったという可能性は考えられない。
上記書籍の中でも解説されているが、天候不順のため、見る機会がなかったという方が妥当なのであろう。
あるいは、賢治氏が見たハレー彗星は、接近前の望遠鏡や肉眼でようやく確認できる程度の尾が短いものであったか、すでに再接近からかなり経過した後の星ではないだろうか。

銀河鉄道の中でも、双子の星の場面で、彗星が登場する。
そして、賢治氏の生存中、出現した彗星はハレー彗星のみである。
そこで、「つるちゃんのプラネタリウム」を使用し、当日の天体図をシュミレーションしてみると、実に面白い結果が出たのである。





私のような凡人は、物事を平面図でとらえてしまうのであるが、南半球へと進んだ汽車の中からは、「双子座」を眺めることができたのである。
上記イラストの白色線は、通常考えられる見える方向となるのであるが、「右手の低い丘の上に小さな水晶ででもこさえたような二つのお宮がならんで立っていました。」という表現に従い、右側に見えるであろう「双子座」の位置と視線を示したのが、緑色線である。
つまり、平面ではなく、銀河自体を球体として立体的にとらえれば、「双子座」の位置は、今、汽車が走り抜けている銀河の反対側の川岸近くということになる。
更に、

「それから彗星がギーギーフーギーギーフーて云って来たねえ。」

と表現されている箇所については、大正7年に家族に読み聞かした童話「双子の星」の中で

「あっはっは、あっはっは。さっきの誓いも何もかもみんな取り消しだ。ギイギイギイ、フウ。ギイギイフウ。」と云いながら向うへ走って行ってしまいました。

と表現されている。
そして、双子座を横切る長い尾のハレー彗星を黄色線で書き加えてみると、まさに、「双子座」への視線と平行になるのである。

以上を整理してみると、賢治氏は、自身が観察できなかったハレー彗星の地球大接近を、この物語の中で再現していたのである。

そして、登場させた「双子座」自体にも大きな思いが込められおり、チュンセ童子とポウセ童子とは、賢治氏と妹のトシ氏とする説もある。
これについては、また別の機会にふれたいと思うが、「銀河鉄道の夜」に登場させた双子のお星さまは、きっと、そうであろう。
ただし、

「いやだわたあちゃんそうじゃないわよ。それはべつの方だわ。」
「するとあすこにいま笛を吹いて居るんだろうか。」
「いま海へ行ってらあ。」
「いけないわよ。もう海からあがっていらっしゃったのよ。」
「そうそう。ぼく知ってらあ、ぼくおはなししよう。」


としていることから、「双子の星」に登場するチュンセ童子とポウセ童子とは、別の意味合いをもつものだと推測できるのであるが。。。

尚、上記のシュミレーション場面は、汽車の現在場所と双子座が表示される時間帯を設定したもので、大正7年8月7日午前2〜3時のものとは異なるが、各星座位置は変化しないため、特に問題はないと考える。
しかし、ここまで正確に星座と汽車との整合性を保ってきた賢治氏が、このように無理に星座の見える方向を表現するのであろうか。。。


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