この「アンドロメダ星雲」が、大正7年8月7日、天頂に達するのは、午前2時59分である。
物語の中で取り上げられた「南十字」への到着時間「第三時ころ」は、最初稿から最終稿まで変更されていない。
この時間を考察するにあたり、大正7年前後の同時刻の動きを検証したところ、翌年の大正8年は、午前3時きっかりに「アンドロメダ星雲」が天頂に達する。
しかし、軌道は常に変わることなく、その軌跡にも一貫性を持たせていた賢治氏が、最終到達時刻だけに違う年のデータを引っ張ってくるとは考えにくい。
この大正7年の午前2時59分が「第三時ころ」という表現を用いたと推測する。
更に、この時間、アンドロメダは、西方(極楽浄土)へと頭を向けているのである。
四次空間から三次空間へと戻る時刻は、四次空間の三時。
そして、「アルクマ」も二重星であったことや、「アンドロメダ座」の神話の中にも、賢治氏と妹のトシ氏が見え隠れするのである。
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