ページトップへのバック用アイコンTOP > 箱庭の賢治氏
第二話十章 水路
現在の盛岡市には、北上川、雫石川、中津川と3本の大きな河川が流れているに過ぎないが、明治から大正時代にかけての街並みには、多くの河川があったことが判明した。
昭和3年に刊行された「盛岡市街案内図」を見る限りでは、盛岡城の周りを取り囲んでいた堀を起因、あるいは水田化により出現した小河川は、明治・大正時代のものと、あまり大差ない。
盛岡市の下水道事業は、昭和28年に開始されているので、たぶん、この後、少しずつ埋立てられていったであろう。

以下の図は、大正9年のものに、水路を分かりやすく色づけしたものであるが、盛岡市にに多く存在した小河川の多くは、どちらかというと、田の用水路的な意味合いが強い。


水路1水路2
水路3水路4

上記のものは、復元品による地図とはいえ、地図自体の退色がみられるため、一部、水路なのか畦道なのか判断つきにくいところが見られるのであるが、概ねはこんな感じであろう。

更に、下記のものは、「岩手県の百年」の表装に描かれた「盛岡市外鳥瞰図」(昭和3年)の一部であるが、1981年に完成した「旭橋」は描かれていないものの、丁度、旭橋に流れ込む小河川(用途は用水路かもしれないが)が、イラスト右下部に描かれている。
つまり、最初稿に登場している「ジョバンニが丘へと向かう途中にある小さな橋」は、街中であれば、どこにでもあったものなのである。
ただし、橋については、さまざまな疑問点が浮上することとなるため、後述する。

盛岡市外鳥瞰図1
盛岡市外鳥瞰図2

山川出版社」1995年11月刊行の表装より引用
(長江好道氏他著)



第二話九章へ戻ります  コンテツメニューへ  第二話十一章へ進みます


indexページへ戻ります トップページへ戻る  ページ最上部へスクロールします ページのトップへ