さて、如何であろうか。
中津川を越えた地域については、鳥瞰から平面図へと略されているめ、残念ながら、実際にポプラの木が実在したかどうかは、描かれていないものの、ジョバンニが現世で辿った場所を検証してみると、明らかに現存したところということがお分かりいただけたと思う。
当時の盛岡市内には工場もあったが、電気を扱っていたところは、「盛岡電気株式会社」だけであり、これを明確に「電気会社」と表現していることからも、この街並みは、盛岡駅前だけでなく、中津川を越えた地域をも含んでいたことになる。
この近辺について、賢治氏との接点はあまりないようにも感じるのであるが、実は、賢治氏お気に入りの場所でもあったのだ。
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