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第二話二十一章 学校とポプラ並木
学校での銀河に関する授業内容を除き、この物語には、あまり学校に関する記述はみられない。

ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅の桜の木のところに集まってゐました。

これは、唯一の学校の様子を示す文章なのであるが、当時のみならず、現在でも、殆どの学校の校庭に桜は植栽されており、この桜の木をもって、学校を推測することはできない。
しかし、ジョバンニが牛乳屋へ入る直前には、以下のような文章がある。

ジョバンニは、いつか町はづれのポプラの木が幾本も幾本も、高く星ぞらに浮んでゐるところに来てゐました。町はづれのポプラの木が幾本も幾本も、高く星ぞらに浮んでゐるところに来てゐました。その牛乳屋の黒い門を入り、牛の匂のするうすくらい台所の前に立って、ジョバンニは帽子をぬいで「今晩は、」と云ひましたら、家の中はしぃんとして誰も居たやうではありませんでした。

そこで、ポプラ並木を地図で表示してみることとする。



「盛岡市街府瞰図絵」(大正9年)より引用


「盛岡市外鳥瞰図」(昭和3年)より引用


これは、当時の「盛岡中学校」(盛岡第一高等学校)と隣接している「盛岡高等農林学校」(岩手大学農学部)である。
この当時、ポプラが植栽されていたのは、この学校沿いだけか、ないし、城跡近くの「県立盛岡農学校」(盛岡農業高等学校)だけのようである。
しかし、ジョバンニが受けた授業内容からして、後者の2校については該当する授業内容とは判断しにくい。
そして、もし、ジョバンニが通っていた学校が「盛岡中学校」だとした場合、先ほどまで授業を受けていた学校を再び訪れていることとなり、単に、街外れのポプラ並木だけを賢治氏が表現したとは捉えにくい。
つまり、「町はづれのポプラの木が幾本も幾本も、高く星ぞらに浮んでゐるところ」である「盛岡中学校」は、ジョバンニの学校ではないという結論に至るのである。

また、このポプラ並木の表現は、最終稿において加筆された部分であることから、「盛岡中学校」と隣接している「盛岡高等農林学校」の間の小道ということになるのであろう。


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