ページトップへのバック用アイコンTOP > 箱庭の賢治氏
第二話二十二章 学校の桜
当初、ジョバンニの通っていた学校は、「盛岡中学校」に違いないと予測していたのだか、ここではないという消去法による結論に達した。
こうなると、どこの学校が舞台となったのであろうか。

以下のものは、「盛岡市街府瞰図絵」(大正9年)に、予測される範囲の学校を示したものである。



自宅4


この内、「盛岡中学校」については、ポプラ並木の登場と、授業内容から、候補としては消え、「仁王小学校」と「櫻城小学校」が浮上してくる。
この2校については、第二話十二章の活版所2に記したとおり、学校で授業の一環として、この当時、すでに荷札付けの職業訓練を行っていたことが、ジョバンニの活版所での手伝いとオーバーラップし、賢治氏も然りという感じがする。
また、ジョバンニの自宅が「徳玄寺」であるとすれば、「仁王小学校」を通り越して、「櫻城小学校」まで通学するというのも不自然である。
故に、ジョバンニが授業を受けていたのは「仁王小学校」ではないかという推測が成り立つのである。
この2校と賢治氏との接点は見出せていないが、東北砕石工場技師時代、荷札の製作を依頼するため、何回か「仁王小学校」のすぐ傍に位置する「山口活版所」に足を運んでいたことと、ジョバンニの学校は最終稿において登場していることから、賢治氏がここを舞台としたとしても、不自然さは感じないのである。

尚、「仁王小学校」は、明治39年に高等科を併置し、「仁王尋常高等小学校」と改称しており、授業内容とも一致する。
そして、「仁王小学校」公式サイトの「仁王小の歴史写真」には、昭和初期の正門の写真が掲載されており、そこには、見事な桜が写し出されている。
ジョバンニが学校の門を出るとき、校庭の隅の桜の木のところに集まっていた桜というのは、この木ではないかという感じがしてならない。


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