ページトップへのバック用アイコンTOP > 箱庭の賢治氏
第二話四十二章 カンパネルラの橋1
丘で目覚めたジョバンニは牛乳屋へと立ち寄った後、カンパネルラが川へ入ったことを知ることとなる。


九、ジョバンニの切符

ジョバンニは橋の袂から飛ぶように下の広い河原へおりました。 (#1)
その河原の水際に沿ってたくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしていました。向う岸の暗いどて (#2) にも火が七つ八つうごいていました。そのまん中をもう烏瓜のあかりもない川が、わずかに音をたてて灰いろにしずかに流れていたのでした。
河原のいちばん下流の方へ洲のようになって出たところ (#3・#4) に人の集りがくっきりまっ黒に立っていました。ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。するとジョバンニはいきなりさっきカムパネルラといっしょだったマルソに会いました。マルソがジョバンニに走り寄ってきました。
「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ。」

「銀河鉄道の夜」より



北上川(瀬)


これは、大正〜昭和初期の地図を元に、当時の北上川に瀬を示してみたものでる。
当時の盛岡市の街中には「夕顔瀬橋」、「開運橋」が架かっていた。
更に、中津川・雫石川と合流した先には「明治橋」があり、「船っこ祭り」は、「夕顔瀬橋」〜「明治橋」で行われていた。

現在でも、「夕顔瀬橋」のところに、島のような瀬が残されているが、この当時でも、「開運橋」のところへ瀬はない。
これらのことから推測すると、ジョバンニがたどり着いた橋は「夕顔瀬橋」であることになる。
ここからであれば、当時、橋の袂から瀬づたいに下流まで行かれたであろう。
ただし、「河原のいちばん下流の方へ洲のようになって出たところ」については、二ヶ所の可能性(#3or#4)があるが、どちらであるのかは判断に悩むところである。
「夕顔瀬橋」〜「開運橋」間は、約700mあるものの、中津川との合流域にある大きな瀬にたどり着くには、「開運橋」を超えていかなければならない。
また、「夕顔瀬橋」から続く瀬から「開運橋」を介して、下流域の瀬の人々が見えるのかどうかは微妙なところであろう。

ただし、カンパネルラが溺れたことを知ったジョバンニには、川面と人々の動きを追うのが精一杯で、橋など目に入らなかったという解釈も成り立つ。
そして、「夕顔瀬橋」の袂から瀬へと降り、そのまま瀬づたいに下流域まで到達した場所(#3)からであれば、#4に佇む人々は見えたであろう。

今までの考察から、この物語に登場するところはは、全て現実の場所であり、それが忠実に描かれている。
この視点から、この場面をとらえてみれば、ジョバンニは#1に下り、そのまま#3に向かっている途中、マルソに会ったとする方が自然であろう。

このように、「カンパネルラが溺れた川に架かる橋にたどり着いたジョバンニ」という一場面だけでみれば、この考察にもかなりの具体性が出てくるのであるが。。。


第二話四十一章へ戻ります  コンテツメニューへ  第二話四十三章へ進みます


indexページへ戻ります トップページへ戻る  ページ最上部へスクロールします ページのトップへ