ジョバンニは、いつか町はずれのポプラの木が幾本も幾本も、高く星ぞらに浮んでいるところに来ていました。その牛乳屋の黒い門を入り、牛の匂のするうすくらい台所の前に立って、ジョバンニは帽子をぬいで「今晩は、」と云いましたら、家の中はしぃんとして誰も居たようではありませんでした。
(「五、天気輪の柱」より:最初に訪れた牛乳屋)
(中略)
ジョバンニは一さんに丘を走って下りました。まだ夕ごはんをたべないで待っているお母さんのことが胸いっぱいに思いだされたのです。どんどん黒い松の林の中を通ってそれからほの白い牧場の柵をまわってさっきの入口から暗い牛舎の前へまた来ました。
(「九、ジョバンニの切符 」より:丘から牛乳屋へと戻るジョバンニ)
「銀河鉄道の夜」より
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牛乳屋へと戻り、暖かい牛乳を手にしたジョバンニは、再び牛乳屋を後にすることになるのであるが、
このことは、「ジョバンニはまだ熱い乳の瓶を両方のてのひらで包むようにもって牧場の柵を出ました。」というように表現されている。
更に、「牛乳屋」が「家畜病院」として、橋へと向かうジョバンニの様子は
「そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てまたしばらく行きますとみちは十文字になってその右手の方通りのはずれにさっきカムパネルラたちのあかりを流しに行った川へかかった大きな橋のやぐらが夜のそらにぼんやり立っていました。」
というように表現されているのである。
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これは、単純に橋へと至る道筋を示してみたものであるが、ここで、2つの疑問が浮かび上がってくる。
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1.最初に「牛乳屋」を訪れた時には「牛乳屋」と表現されていたものが、丘から目覚めた後、再び牛乳をとりに立ち寄る時は、「牧場」と、表現が変わっている。
2.「家畜病院」を「牛乳屋」とした場合、2回目のザリネとの接点が、右に橋の見える十字路となるが、そこまでの距離と表現による道のりでは、あまりにも隔たりが大きい。
また、ここをその十字路とするならば、2回目の接点であることが、表現されていないのはあまりにも不自然であり、ここから橋のやぐらは見える距離にない。
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つまり、上記の地図に示した軌跡ではないということになる。
そこで、これらを踏まえて、再度、示してみたのが、以下のものである。
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これは、2回目にザリネに会った時にも、ジョバンニが不愉快な思いをしていることから、直接、夕顔瀬橋に向かって、三度、ザリネには会いたくないけれど、祭りの様子は見てみたいというジョバンニの心境を表したものなのかもしれない。
ただし、この軌跡については、ジョバンニがたどり着いた橋を確定しないと先には進まない。
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