ジョバンニは、北の街はずれに向かい、小さな川にかかる橋を渡って、丘へと向かう。
盛岡市内には、北上川の支流の一つである中津川が流れている。
(この河川の上流には網取ダムがあるが、完成したのは昭和57年である。)
大正6年4月、盛岡中学に入学した弟の清六氏と盛岡市内に下宿したのは、「下の橋」の側である。
この「下の橋」近辺の中津川は、大きく蛇行しており、「そこには、河原のぼうっと白く見える、小さな川があって」という賢治氏の表現と見事に一致する。
そして、この「下の橋」という地名の中津川に架かる橋が「下の橋」で、盛岡駅前(街)のすぐ近くである上、ここを渡ると、「天満宮」へと至る小高い丘に到達できるのである。
つまり、初稿での「天気輪の丘」は「天満宮」のある丘であるという推測が成り立つのである。
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