盛岡農林高等学校(現:岩手大学農学部)時代の賢治氏は、星座盤を手にして山野を歩き回っていたという。
そんな星座の観察を通して、「双子の星」の物語を家族に読み聞かしたのは、大正7年8月のことである。
つまり、賢治氏は、この歳以前に星座盤を手に入れていたということになり、ジョバンニが星座盤を眺める姿は、氏自身とオーバーラップする。
ここで、星座盤を眺めているのは、昔の賢治氏自身なのだ。
「宮時計店」が創業したのは大正中頃ということなので、ここで登場する時計店は、大正7年以前の明治7〜8年に創業した「玉置時計店」ということになる。
もしかして、賢治氏は、ここで星座盤を手に入れたのかもしれない。
ジョバンニが立ち寄った時計店を「玉置時計店」とすると、以下のような道すじが浮かび上がってくる。
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