ページトップへのバック用アイコンTOP > 箱庭の賢治氏
第一話三章 祭 (キーワード)

娯楽と情報が溢れかえっている現代では、その重要性も楽しみもかなり変わってしまったが、賢治氏の時代の子供にとっては、何よりもの楽しみだったに違いない。


三.家

「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで箒のようだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっと町の角までついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ。」
「そうだ。今晩は銀河のお祭だねえ。」
「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ。」
「ああ行っておいで。川へははいらないでね。」
「ああぼく岸から見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ。」

「銀河鉄道の夜」より

背景画 Copyright © 銀の鏡 All Rights Reserved



「烏瓜のあかり」を川に流しにいく「銀河のお祭」とは何なのであろうか。
賢治氏は、これに「ケンタウル祭」と名づけている。

さて、夏の一大イベントとして、盆があるが、その前に執り行われるのが「七夕」である。
七夕の起源や歴史に触れると、そだけで、一つのサイトが作成できてしまうほどの膨大な情報量となるため、詳細については記さないが、盆を迎えるための禊という意味合いもある。
また、かつては農耕とも密接な関係にあり、このため、七夕様が降臨するから、その日は畑に入らないとか、これから到来する夏の日照りに備え、銀河を川に見立てて、笹でこの水を集めるといったような風習もみられる。
七夕に行われる行事は、地域によりかなりの特性がみられる。
東日本の各地では、人形や蝋燭をのせた船などを川に流し、その際に水浴びをするという風習もあり、秋田では「ネブタ流し」と呼ばれている。
このように、河川と結びついた形で行われるものも多く、北上川をその舞台として、灯篭流し・船競漕という形態で行われるものも数多く残っている。
また、盛岡には、「舟っこ流し」という盆行事があり、これは、旧盆の8月16日に、灯籠や供物を積載した舟を川中に運び、読経とともに火をつけて流すというものであり、これは、盛岡第一高等学校前の北上川にかかる夕顔瀬橋で行われていた。

賢治氏が中学生(現在の高校生)時代に、これを見ていた可能性は、非常に高いと考えられる。
賢治氏の時代には、すでに、中国より伝わった織女・牽牛伝説と、古来からの七夕の儀式が融合しており、七夕ないし送り盆の日に、星空を眺めていたことも、推測がつく。
また、堂々と夜間出歩けられる絶好の機会だったはずである。

ここに、星と出会い、一人の独立した人としての賢治氏の姿がある。


第一話二章へ戻ります  コンテツメニューへ  第一話四章へ進みます


indexページへ戻ります トップページへ戻る  ページ最上部へスクロールします ページのトップへ