ページトップへのバック用アイコンTOP > 箱庭の賢治氏
第三話二章 苹果2

賢治氏がこの物語の最初稿を完成させたのは、大正11年と私も解釈している。
この年、妹のトシ氏が死去されるが、それを受けて、この物語が最初稿から最終稿へと変遷していったと推測できるからである。
しかし、氏がこの物語の舞台としたのは大正7年の星空の再現。
故に、物語自体の大まかなストーリーや構想の基盤などは、この7年から11年にかけて構築されたものであると推測される。
「苹果」という言葉は「春と修羅」(遺稿)等にも登場しているが、この物語の場合、最初稿から最終稿にかけての加除修正がみられないことから、トシ氏の死去により変えられたものではなく、それ以前から構想の中に存在したという推定のもと、11年以前の短歌から、この「苹果」と「りんご」をピックアップしてみる。


あまの邪鬼金のめだまのやるせなく青きりんごをかなしめるらし
(大正3年4月)

盛岡中学校を卒業するが、4月に鼻炎手術のため岩手病院に入院となる。
この年、岩手軽便鉄道(花巻〜晴山)開通。

りんごの樹ボルドウ液の霧ふりてちいさき虹のひらめけるかな
(大正4年4月)

盛岡高等農林学校農学科第2部に入学し、寄宿舎生活を送る。
この年、アインシュタインが一般相対性理論を発表。

※ ボルドー液とは、石灰と硫酸銅を水に溶かしたもので、果樹や野菜の病害防除に欠かせないものであった。

東京よこれは九月の青苹果かなしと見つゝ汽車に乗り入る
(大正5年7月)

流れ入る雪のあかりに溶くるなり夜汽車をこめし苹果の蒸気
(大正5年10月)

つゝましき白めりやすの手袋と夜汽車をこむる苹果の蒸気と
(大正5年10月)

盛岡高農2年生。3月に修学旅行で上京、7月にドイツ語の講習会を受けるため再び上京している。


「和リンゴ」とは、直径3〜4cmほどと小さく、現在は、長野県牟礼村でしか栽培されていない。
リンゴの栽培歴からいって、幼少時より賢治氏が「西洋リンゴ」を見たり、食べていたことは察しがつく。
どちらかというと、上の短歌からも推測できるように、高等農林学校へと進んだ氏が、この和と西洋の違いを学んだという気がしなくもない。
以下の文章は「宮沢賢治の宇宙」の中の「私にとっての賢治」における塩原日出夫氏の回顧からの引用である。


たとえば、長坂さんにとっては、賢治先生がイタズラ心がわかる人だったということが強く記憶に残っている。長坂さんはイタズラ好きな少年でずいぶんすごいイタズラをしたらしいのですが、賢治先生は長坂さんがやったのがわかっていても、単にしかるのではなくユーモラスな対応をする。賢治先生は、夜、生徒たちを怖い所に連れていって肝だめしをさせたりもしたようです。
それから照井さん(?)という方は、賢治先生の純真さをよく覚えていらっしゃる。ある時いっしょにボートに乗ったら、賢治はもっていたリンゴを水の中に落とし、浮いたり沈んだりする様子を子供のように喜んで観察し、何度もやってみるのだそうです。


賢治氏が花巻農学校教諭を務めたのは、大正11〜15年までの間である。
上の短歌や回顧に書かれているように、賢治氏は、「リンゴ」というものに対し、何か特別な思いなり感情を持っていたのではないかと推測されるのである。

「銀河鉄道の夜」の中での「苹果」は、どちらかというと、実体としての比喩というより、実体のないものの例えとして用いられている。
きっと、「和リンゴ」にはみられなかった「西洋リンゴ」の甘い香りに引かれていたに違いない。
そして、上の短歌を読み上げた当時に、汽車とリンゴの香りの接点をすでに表現している。

賢治氏の考察書を読んでみると、実に多くの方が、この物語に登場する「リンゴ」を宇宙、あるいは、丸い形から銀河の例えとして位置づけている。
確かに一理あるとは思うが、二十七章に書き出した箇所のように、最初に天気輪の丘で登場した後、再び戻ってきた同場所には登場していない。
もしも賢治氏が、宇宙・銀河の象徴として、物語の中に登場させたものであれば、メビウスの輪と同じく、最後にも登場して然りだと感じてしまうのである。


日本の明治期の西洋リンゴはエキゾチックな、神秘的な新種であった。これには西洋のリンゴにまつわる神話や伝説の数々、わけても旧約聖書「創世記」のアダムとイヴの知恵の木の実として伝えられた、知識教養の面からの影響も手伝っていたと思われる。リンゴを知恵や愛、不死や豊麗のシンボルと考えてきたヨーロッパ古来の伝承に通じ、それは「世界」を意味したキリスト教の絵画や彫刻(マリアやマリアに抱かれたキリストがリンゴを手にしたのがよくある)のイメージにも通じる。

宮澤賢治語彙辞典/原子朗氏編著(東京出版)より引用



氷山にぶつかり沈んでいった船から乗り込んできたかほるねえさんの膝の上に置かれたリンゴは「和リンゴ」ではない。
大きさや香りからいって「西洋リンゴ」である。

リンゴは、宮澤賢治語彙辞典に書かれているように、アダムとイブに由来する果物(最初はイチヂクであったが)であり、キリスト教の象徴でもある。
燈台看守が姉弟に渡したかったのは、実体のない「苹果」ではなく、天上へと召されるようにという願いの込められた本物のリンゴであったに違いない。

尚、西洋系のリンゴが11月に入ってから熟すのに対し、「和リンゴ」はお盆時が収穫時期となり、この物語の中でも、それを8月6〜7日へと登場させたことにより、農学者でもあった賢治氏の一面がうかがえる。

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