ページトップへのバック用アイコンTOP > 箱庭の賢治氏
第三話九章 鳥たち2
「雁」と「鷺」は、食べるのだという。
ここに、賢治氏はどんな思いをこめたのであろうか。

第三は私たちもこの中でありますが、いくら物の命をとらない、自分ばかりさっぱりしていると云ったところで、実際にほかの動物が辛くては、何にもならない、結局はほかの動物がかあいそうだからたべないのだ、小さな小さなことまで、一一吟味して大へんな手数をしたり、ほかの人にまで迷惑をかけたり、そんなにまでしなくてもいい、もしたくさんのいのちの為に、どうしても一つのいのちが入用なときは、仕方ないから泣きながらでも食べていい、そのかわりもしその一人が自分になった場合でも敢て避けないとこう云うのです。けれどもそんな非常の場合は、実に実に少いから、ふだんはもちろん、なるべく植物をとり、動物を殺さないようにしなければならない、くれぐれも自分一人気持ちをさっぱりすることにばかりかかわって、大切の精神を忘れてはいけないと斯う云うのであります。

「ビヂテリアン大祭」より


これは、大正12年に書かれた「ビヂテリアン大祭」からの抜粋である。
今で言うベジタビリアンの世界大会を童話に仕立てたものであり、賢治氏自身もこの頃より菜食主義になったと言われている。
しかし、花巻農業高等学校の教諭時代に足繁く通っていた「やぶ屋」さんのサイトには、こんなエピソードが掲載されいている。

「よく藤原嘉藤治氏や友人同僚を誘って,今日はBUSHへ行きましょうか,などといって,吹張町の藪そばへ連れて行きました。藪そばのものでも,特に天ぷらそばは賢治愛好の食品ですから,たびたび食べに行かれました。病中にも天ぷらそばを思い出して家人と話された事があるそうです。
原稿がどんどん売れたら,友だちと好きなそばでも食べようなどと冗談も言っておりました。たしか東京の知名の文士にトラック1ぱいの原稿を送り,今度原稿料が入ったらBUSHへ連れて行くぞと愛弟の清六さんににやにや笑いながら申したと言うくらいですから,BUSHは相当賢治にとって魅力があったわけです。」

宮沢賢治とやぶ屋」より引用


賢治氏は、幼少時より悲惨な農民の暮らしを見てきた。
故に、菜食主義を賞しながらも、人間が生きていくため他の命を犠牲にしていくこと、つまり、「業」というものを、悲しみと苦しみの中から捉えており、これは、この物語に限ったことでなく、「よだかの星」など、多くの童話や詩にも表現されている。
きっと、このことを、賢治氏は、物語の中にも盛り込みたかったに違いない。


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