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第一話七章 離脱

「天気輪の柱」の下の草原に身を投げ出したジョバンニは、そのまま、軽便鉄道へと乗り込むことになる。
これが、この物語本体の出発点となるのである。


六.銀河ステーション

すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見ているのに気が付きました。そしてそのこどもの肩のあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくて、たまらなくなりました。いきなりこっちも窓から顔を出そうとしたとき、俄かにその子供が頭を引っ込めて、こっちを見ました。
それはカムパネルラだったのです。
ジョバンニが、カムパネルラ、きみは前からここに居たのと云おうと思ったとき、カムパネルラが
「みんなはねずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」と云いました。
ジョバンニは、(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出掛けたのだ。)とおもいながら、
「どこかで待っていようか」と云いました。するとカムパネルラは
「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎いにきたんだ。」
カムパネルラは、なぜかそう云いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。

「銀河鉄道の夜」より



ここからジョバンニは、夢の世界へと旅立つことになるのだが、二人が汽車の中で出会い、最初に口火をきったカンパネルラは、「みんなはねずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」とジョバンニに話しかける。
これから、先、話が急展開していくこととなるが、これは、明らかに、現世のことを過去形で話している。

ジョバンニは、四次空間、あるいは、死後の世界へとワープしたことになるのだが、このワープゾーンにあたるのが「天気輪の輪」なのである。


「天気輪」とは、石柱に丸い鉄の輪などをはめ込んだもので、「地蔵車」・「念仏車」などとも呼ばれ、東北地方の古寺や村境などに多くみられる。
天界や死者のと交流を図るとか、雨や晴天に関する天候を祈るために利用されたという。



「卒塔婆には、満月ほどの大きさで車のような黒い鉄の輪のついているのがあって、その輪をからから回して、やがて、そのまま止ってじっと動かないならその回した人は極楽へ行き、一旦とまりそうになってから、又からんと逆に回れば地獄へ落ちる、とたけは言った。」

これは、太宰治氏の「思ひ出」の一部で、青森県五所川原市の金木山雲祥寺のことである。
賢治氏の天気輪とは、若干違うが、やはり、同じような意味合いとして綴られている。

法華経信者であった賢治氏が仏に関する言葉を用いて表現していてもおかしくないのだが、後ほど述べるように、キリスト教的表現を多用しており、星などのイメージからも「天気輪」という言葉を使用したのであろう。




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