「春と修羅」の中の「小岩井農場」は、賢治氏が大正11年5月に訪れた時の体験が基とされている。
氏は、小岩井農場が好きで、何度も訪れており、明治41年1月(小学校6年)には、「小岩井の育牛長の一人子と この一冬は 机ならぶる」という短歌も詠んでいる。
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(雨の小岩井牧場 2005.8撮影)
賢治氏にとって憧れの地でもあった小岩井農場牧場。
「春と修羅」で表現された小岩井農場へと至る道のりの風景は、「銀河鉄道の夜」に登場する天気輪の輪へと至る風景に似ている。
また、牛舎、小高い丘などが登場することからも「小岩井農場」がモデルとなっているとも推測できる。
(概要については第十一章に掲載)
そこで、天体の観測地点を盛岡から小岩井農場の位置する「E141.05・N39.44」へと移動させて、検証してみると、実に面白い結果が出たのである。
物語の中に「月夜でないよ」と出ているため、前回と同様、日没から翌午前3時過ぎまで月出でないか、新月の時を探してみたところ、盛岡を観測地点とする大正7年8月6〜7日と、まったく星座の動きが同一の日があったのである。
それが大正15年8月6〜7日である。
木星等の惑星については、大正7年のものと異なるが、その他の星座の天頂に達する時間は全て同じ時刻である。、
この物語の最初稿が成立したとされるのは、大正11年ないし13年であるから、論外とも言えるのであるが、賢治氏のことである。
もしかしたら、過去の星座の動きを物語にしたのではなく、未来の星座の動きをシュミレーションして、物語として構築していったものなのかもしれない。
次章では、小岩井牧場の可能性を考察してみる。
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