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第二話三十章 「ポラーノの広場」と「牧場」

わたくしはすぐ宿直という名前で月賦で買った小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって、その番小屋にひとり住むことになりました。わたくしはそこの馬を置く場所に板で小さなしきいをつけて一疋の山羊を飼いました。毎朝その乳をしぼってつめたいパンをひたしてたべ、それから黒い革のかばんへすこしの書類や雑誌を入れ、靴もきれいにみがき、並木のポプラの影法師を大股にわたって市の役所へ出て行くのでした。

(中略)

五月のしまいの日曜でした。わたくしは賑(にぎ)やかな市の教会の鐘の音で眼をさましました。

(中略)

わたくしは半分わらうように半分つぶやくようにしながら、向うの信号所からいつも放して遊ばせる輪道の内側の野原、ポプラの中から顔をだしている市はずれの白い教会の塔までぐるっと見まわしました。けれどもどこにもあの白い頭もせなかも見えていませんでした。うまやを一まわりしてみましたがやっぱりどこにも居ませんでした。

「ポラーノの広場」より



これは、昭和6年(推定)に書かれたとされている「ポラーノの広場」の一部である。
その舞台は「モリーオ市」で、これは盛岡市のことである。
そして、この物語登場する教会は「盛岡聖公会」であると仮定して地図に示してみたものが、以下の図である。


競馬場と教会


「盛岡聖公会」は明治41年に設立され、同44年に、現在地へと移転した教会である。
そして、主人公は、モリーオ市の博物局に勤め、競馬場の番小屋に住んでいる。
そこで、物語の情景を再現すべく、競馬場と教会を結んでみたところ、ポプラを挟んだ教会が浮かび上がってきたのである。
しかも、この黄金競馬場は、盛岡高等農林学校のすぐ裏手にある。

実は、この競馬場こそが、第二話二十七章で取り上げた「外山牧場獣医学舎」以外のもう一つの牧場候補地なのである。


競馬場拡大図

「盛岡市外鳥瞰図」より引用


ジョバンニは、牛乳屋を後にし、ザリネ達に会った後、丘に向かうのであるが、この時、単に「牧場のうしろはゆるい丘」と表現しているに過ぎない。
つまり、牧場に立ち寄ったり、その傍を通り過ぎたということではなく、牧場を背にした丘を通過したという解釈になる。
そして、「牧場=牛」ではないということになる。
次章では、この競馬場を牧場として仮定した場合のジョバンニの軌跡を示してみることとする。

尚、これで、更に、時計屋、牛乳屋に続き、牧場も候補地が2ヶ所浮き上がってきたことになる。


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