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第三話四章 烏瓜
ケンタウル祭に川へ流しに行くという烏瓜の燈火には、どのような意味があるのであろうか。

カラスウリ(烏瓜)
ウリ科カラスウリ属 Trichosanthes cucumeroides

中国・日本を原産国とする雌雄異株のつる性多年草で、林縁などに多く自生しており、7〜9月頃にかけて、直径5〜10cmほどの5弁花を日没後に咲かせる。
白いレース様の目立つ花は、受粉のため、夜行性の蛾を引き寄せるためだと考えられてる。
雌花の咲く雌株にのみに果実をつけ、10〜11月頃、直径5cmほどのオレンジ色の卵型に熟する。
この果実には、甘みがあるものの、苦味が非常に強いため、通常は食用にしないが、かつては飢饉時にでんぷんを根から採取して食用としたこともあり、人為的に植えられたものであるという説もある。
また、地域により、山菜として、その根茎を食用とする地域もある。
カラスウリという名前は、蔓に残った果実がカラスの食べ残しに見えること、あるいは、好んで食べるからだといわれているが、「唐朱瓜」と書き、朱墨を作る際の辰砂の朱色に由来しているという説もある。
尚、同属に、果実が黄色の「キカラスウリ」があり、この根から採取されるでんぷんは「天瓜粉」・「天花粉」と呼ばれ、あせもなどの薬として利用されている。



・・・楢の木や樺の木が火にすかし出されてまるで烏瓜の燈籠のように見えたぜ。」
「そうだ。おら去年烏瓜の燈火拵えた。そして縁側へ吊して置いたら風吹いて落ちた。」と耕一が言いました。
すると又三郎は噴き出してしまいました。
「僕お前の烏瓜の燈籠を見たよ。あいつは奇麗だったねい、だから僕がいきなり衝き当って落してやったんだ。」

「風野又三郎」より



賢治氏は、花巻農学校教諭の大正13年、この原稿の筆写を教え子に依頼している。
「風野又三郎」は、「風の又三郎」の前身といわれるものであるが、後者の作品には、この烏瓜の提灯は登場していない。
そこで、「銀河鉄道の夜」の最初稿と最終稿から、の烏瓜が登場する場面を抜き出して、比較してみることとする。


章 \ 稿 最初稿 最終稿
二、活版所 (最初稿は「四、ケンタウルス祭の夜」から物語がスタート)  ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅の桜の木のところに集まっていました。それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜を取りに行く相談らしかったのです。
四、ケンタウル祭の夜 「ザネリ、どこへ行ったの。」ジョバンニがまださう云ってしまはないうちに、
「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」その子が投げつけるやうにうしろから叫びました。
ジョバンニは、ばっと胸がつめたくなり、そこら中きぃんと鳴るやうに思ひました。
「ザネリ、烏瓜ながしに行くの。」ジョバンニがまだそう云ってしまわないうちに、
「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」その子が投げつけるようにうしろから叫びました。
ジョバンニは、せはしくこんなことを考へながら、さっき来た町かどを、まがらうとしましたら、向ふの雑貨店の前で、黒い影やぼんやり白いシャツが入り乱れて、六七人の生徒らが、口笛を吹いたり笑ったりして、めいめい烏瓜の燈火を持ってやって来るのを見ました。 十字になった町のかどを、まがろうとしましたら、向うの橋へ行く方の雑貨店の前で、黒い影やぼんやり白いシャツが入り乱れて、六七人の生徒らが、口笛を吹いたり笑ったりして、めいめい烏瓜の燈火を持ってやって来るのを見ました。その笑い声も口笛も、みんな聞きおぼえのあるものでした。
五、天気輪の柱 草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのようだとも思いました。
九、ジョバンニの切符 (最初稿では、カンパネルラの現世での死亡は登場しない。) 「ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやろうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったろう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」


川に提灯を流すというものは、第三章で述べたとおり、お盆行事に由来するものであり、きっと8月16日に行われる盛岡の「舟っこ流し」をモチーフとしたものであろう。
一方、烏瓜をくり抜き、その中に明かりを灯すというものは、ハロウインを連想させる。


ハロウイン

ハロウインは、キリスト教の諸聖人の日の前夜である10月31日に行われる行事で、万聖節とも呼ばれている。
これは、ケルト人が一年の最後の日の10月31日に行っていた収穫感謝祭が元とされており、過去に亡くなった人々が蘇る日とされている。
この晩、くり抜いた南瓜の中に蝋燭を立て、仮装した子供達が近所の家々を回りお菓子をねだる。
また、墓に蝋燭を灯すといった地域もあり、キリスト教徒にとって、日本の盆と同様の行事となっている。


このように、この烏瓜の燈火は、仏教とキリスト教が融合した形での死者を弔う、あるいは、死者の復活を願う行事であることが伺える。

カラスウリの果実が赤く熟すのは、秋になってからであるが、冒頭に「青いあかり」と書かれていることから、まだ熟していない青いカラスウリを用いたものと推測される。
カラスウリの果実は5cmほどであるが、キカラスウリは、倍ほどの大きさで、晩秋まで青いままである。
このため、この果実という推測も成り立つのであるが、氏が植物学者でもあったことから、カラスウリとキカラスウリを曖昧な形で物語に登場させたとは考えにくい。
また、農民の悲惨な状況をみてきた氏には、南瓜などのように食用にできる果実を川に流してしまうということは、耐えられなかったに違いない。
カラスウリの果実は、苦味が強く食用にはならないが、キカラスウリの果実は、天日干しすることによって食用にすることができる。
故に、この物語に登場するのは、カラスウリであろうという推測が成り立つのである。


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