ページトップへのバック用アイコンTOP > 箱庭の賢治氏
第三話五章 タイタニック

九.ジョバンニの切符

「いえ、氷山にぶっつかって船が沈みましてね、わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発ったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日のあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾きもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かったのです。ところがボートは左舷の方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。

「銀河鉄道の夜」より



青年と姉弟が登場するこの場面は、明らかにタイタニック号そのものである。
豪華客船「タイタニック号」は、1912年4月10日にイギリスのサザンプトンを出港し、 アメリカのニューヨークに向けての処女航海中、北大西洋のニューファウンドランド沖で氷山と衝突し、多くの犠牲を伴って沈没した。4月15日午前2時20分のことである。

当時、16歳であった賢治氏にとって、自らの命を投げ打って、最後まで船を動かそうとした機関員や、逃げようとせず船に残された人々のために演奏を続けた楽団員等の自己犠牲的行動というものは、かなりの衝撃を与えたに違いない。

大正15年の「春と修羅」第二集の中でも「まるでわれわれ職員が タイタニックの甲板で Nearer my God か何かうたふ 悲壮な船客まがひである」と謳われている。

賢治氏は、単に、これらのことを過ぎ行く一つ物語りとして「銀河鉄道の夜」の中に組み込んだだけであろうか。
タイタニック号イメージ画

これは「もうぢき鷲の停車場だよ。」というすぐ後に登場してくることから、午前2時前のことなのであるが、実際のタイタニック号で、最初の救命ボートが降ろされたのは午前0時45分で、その後、沈没までの間にも、多くの命が奪われたことからも、事実に基づいた時刻で汽車に乗り込んできたこととなる。

しかし、賢治氏は、タイタニック号の逸話を、単に、汽車の時刻に合わせて、盛り込んだだけではないのである。
第十四章」で述べたように、この時間は、ちょうど木星が二時の方向へと出現している。
そして、タイタニック号という船舶の名前は「タイタン」(Titan)に由来して命名されたものなのである。

「タイタン」はギリシヤ神話などに登場する巨神族のことであり、木星の衛星でもある。
この衛星は、1655年に発見され、ごく最近まで太陽系で一番大きい衛星とされていた。
しかも、太陽系の中で、唯一の大気を持った衛星で、その構成は、原初の地球と同様の環境にある。
つまり、生命が誕生している可能性もあるのである。
人々の運命を支配する木星の衛星は、生命誕生の星・・・。
こんなところにも、この物語の中で、相反する両面が表現されていたのである。


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