青年と姉弟が登場するこの場面は、明らかにタイタニック号そのものである。
豪華客船「タイタニック号」は、1912年4月10日にイギリスのサザンプトンを出港し、 アメリカのニューヨークに向けての処女航海中、北大西洋のニューファウンドランド沖で氷山と衝突し、多くの犠牲を伴って沈没した。4月15日午前2時20分のことである。
当時、16歳であった賢治氏にとって、自らの命を投げ打って、最後まで船を動かそうとした機関員や、逃げようとせず船に残された人々のために演奏を続けた楽団員等の自己犠牲的行動というものは、かなりの衝撃を与えたに違いない。
大正15年の「春と修羅」第二集の中でも「まるでわれわれ職員が タイタニックの甲板で Nearer my God か何かうたふ 悲壮な船客まがひである」と謳われている。
賢治氏は、単に、これらのことを過ぎ行く一つ物語りとして「銀河鉄道の夜」の中に組み込んだだけであろうか。
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