ページトップへのバック用アイコンTOP > 箱庭の賢治氏
第三話七章 雁
星座に登場しない「雁」と「鷺」を、どうして、賢治氏は、登場させ、しかもお菓子として例えたのであろうか。
そして、この「雁」と「鷺」の違いは、どこにあるのであろうか。

大正8年5月、賢治氏は「ラジウムの雁」を書いている。
この中で「ラジュウムの雁、化石させられた燐光の雁。」と表現しているのは、プレアデス星団のことである。
これについては、第一話24章で述べたように、最初稿の「プレシオスの鎖を解かなければならない。」という言葉にある。
更に、大正12年の氏の作品に「雁の童子」がある。


そのとき俄かに向うから、黒い尖った弾丸が昇って、まっ先きの雁の胸を射ました。
雁は二三べん揺らぎました。見る見るからだに火が燃え出し、世にも悲しく叫びながら、落ちて参ったのでございます。
弾丸が又昇って次の雁の胸をつらぬきました。それでもどの雁も、遁げはいたしませんでした。
却って泣き叫びながらも、落ちて来る雁に随いました。
第三の弾丸が昇り、
第四の弾丸が又昇りました。
六発の弾丸が六疋の雁を傷つけまして、一ばんしまいの小さな一疋丈けが、傷つかずに残っていたのでございます。燃え叫ぶ六疋は、悶えながら空を沈み、しまいの一疋は泣いて随い、それでも雁の正しい列は、決して乱れはいたしません。
そのとき須利耶さまの愕ろきには、いつか雁がみな空を飛ぶ人の形に変って居りました。
赤い焔に包まれて、歎き叫んで手足をもだえ、落ちて参る五人、それからしまいに只一人、完いものは可愛らしい天の子供でございました。

「雁の童子」より



雁の童子


雁は、古来より人の魂を運ぶ鳥とされてきた。
賢治氏は、これらのことを、この物語の中に取り入れ、「雁」とは、業を背負った人間達、あるいは、その魂を表現しようとしたのであろうか。
こいつは鳥ぢゃない。ただのお菓子でせう。」というカムパネルラの言葉にあわてた鳥捕りが「鷲の停車場」に到着する直前、車内から消えていまったのは、死神だということなのであろう。


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