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第二話二十八章 盛岡高等農林学校

下記は、昭和22年刊行の「新生盛岡市地図と案内」より、「盛岡高等農林学校」を拡大して示してみたものである。


盛岡高等農林学校詳細図


本学の動物病院の前身である家畜病院は、盛岡高等農林学校の創立時に設置されたので、既に100年余りの歴史を刻んでいます。古くから東北地方の獣医臨床の拠点として時代時代の要請に応じて多くの人材育成に寄与してきました。診療対象動物の大多数が牛や馬の「家畜」から犬や猫に移って久しく、昨今は小鳥やフェレットなどのエキゾチック動物の診療依頼も多くなりました。そこで市民の飼育動物への感情を考え、平成15年度からは「家畜病院」よりもっと一般的な概念である「動物病院」と呼称しています。今後は今まで以上に地域の中核病院として、市民の方々の期待に応えていこうという意思表明でもあります。

岩手大学動物病院」より引用




冬の旧盛岡高等農林学校
395の落書き帳」(2005-12-18)より

盛岡高等農林学校が盛岡市上田に設置されたのは、明治35年3月のことであるが、翌年の5月に、農学科、林学科、獣医学科の第1期生が入学し、10月には家畜病院が開設されている。
そして、ここは賢治が通った現在の岩手大学農林部でもあり、第二話二十一章のとおり、ポプラ並木も存在している。

つまり、賢治氏がこの家畜医院を牛のいる牛乳屋として設定したとすれば、合点のいく場所ということになるのである。

これで、第二話十四章の時計屋のように、牛乳屋としての候補地が2ヶ所浮き上がってきたことになる。


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