下記のものは、前章での「#2」(山王山・天満宮・東新庄)方面を「新生盛岡市地図と案内」(昭和22年刊行)で示してみたものである。
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この物語の舞台となった丘については、最初稿・最終稿の区別なく、第二話三章にて「天満宮」という可能性を示した。
「天満宮」は高台に位置し、その頂には社がある。
すでに神が存在した場所からジョバンニが天空へと飛び立つであろうか。
また、丘の頂には、天気輪の柱しかない表現となっている。
つまり、ここには、ジョバンニが天空へと旅立つには不自然ということになる。
これは、前章での「#1」(愛宕山・愛宕山中腹)についても、愛宕神社が存在することから、同様と考えれる。
ところが、この「山王山」については、ジョバンニが天空へと飛び立つのに、必要なキーが存在していたである。
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山王山
標高155mの丘陵地。
以前は山王山神社が存在したが、大正12年、冷害・風水害がどの自然災害発生解明のため、岩手県営測候所(盛岡地方気象台)が創立され、昭和11年には、東側斜面を平坦に削り、庁舎を増設した。
(現在の盛岡気象台の航空写)
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松本竣介氏の描かれた「盛岡風景」をご覧いただきたい。
これは昭和16年に描かれたものである。
氏は中学時代、この測候所の丘の辺りに住んでおり、ここから見渡せる風景をよく描いていたという。
これこそ、当時の「天気輪の丘」である。
「天気輪」については、第一話七章で触れたとおり、現世とあの世をつなぐ意味がある。
しかし、それに留まらず、賢治氏は、やはりここにも二面性を持たせ、気象というものを「天気」という名前を用いて表し、人々の自然災害を無くしたいという賢治氏の願いが、この物語にも登場していたのである。
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平成9年、盛岡気象台の庁舎建て替えの際、縄文中期(約4500年前)の集落跡が発見され、「山王山遺跡」と命名され、調査は今も続いている。
この物語の中で、賢治氏は、最近になって解明された星々のことも表現している。
そして、賢治氏が「天気輪の丘」としたであろう「気象台」のあるところからは、遺跡が出現した。
この物語の銀河の中にも、「プリオシン海岸」がでてくる。
これは、果たして、偶然なのであろうか。。。
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では、何故、最終稿で、賢治氏はこの丘を他の場所へと移動させたのであろうか。
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