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第二話三十九章 天気輪の丘(最終稿)

下記のものは、「盛岡市外鳥瞰図」(昭和3年刊行)に、ザリネ達と出遭った後、丘へと向かうジョバンニの道のりを想定して示したものである。

天気輪の丘(最終稿)推定場所天気輪の丘(最終稿)推定場所
「岩手県の百年」の表装より引用


九、ジョバンニの切符

ジョバンニは一さんに丘を走って下りました。まだ夕ごはんをたべないで待っているお母さんのことが胸いっぱいに思いだされたのです。どんどん黒い松の林の中を通ってそれからほの白い牧場の柵をまわってさっきの入口から暗い牛舎の前へまた来ました。

「銀河鉄道の夜」より



ここでは、賢治氏が、何故ここを「天気輪の丘」として設定したのかより先に、ジョバンニの軌跡から丘を示してみた。
赤線で「行き」、点線て「帰り」を示してみたものであるが、本文(丘からの帰ってくる様子)と見事に一致している。
また、この本文と丘へと至る道のりから、第二話三十一章に示した「黒い門」は#1であったことにも具体性が出てきた。

第二話三章では、「北山近辺」という形で示してみたが、最初稿でジョバンニが自宅方向へと向かわないということは、最終稿でもジョバンニの心境が削除されているものの、自宅のすぐ裏手に向かうという設定には抵抗を感じる。
また、「盛岡市街案内図」(昭和3年刊行)の北山(ジョバンニの自宅裏側)は、火葬場となっている。
確かに、死に対しては必要な場所であるが、ジョバンニは、現世より先にカンパネルラの死に逢うことになる。
つまり、この場所は、天空にワープするにはふさわしくなく、また、最初稿と同じようなキーとなるものが存在していないということになるのであろう。


狐盛方面拡大地図狐盛方面拡大地図
「新生盛岡市地図と案内」(昭和22年刊行)

これは、通称「狐森」と呼ばれている近辺の拡大図である。
同年刊行の「盛岡市外鳥瞰図」には描かれていないものの、この丘の袂には「盛岡放送局」がある。
また、何であるのか、現段階では調べる術も無いのだが、上記(ページ最上部)の「盛岡市外鳥瞰図」の丘の中腹近辺には、電波塔か仏舎利塔のようなものが描かれている。

塔部分拡大図

日本でラジオ放送が開始されたは大正14年のことであり、翌年からは全国でラジオ放送が実施されている。
丘の下に放送局が位置することから、これはもしかして、この放送のための電波塔なのかもしれない。
電波を発する放送局、ないしは、その電波塔。
あるいは、丘の上に建っているものが、電波塔ではないにせよ、その麓には放送局がある。

これこそ、まさしく、賢治氏が表現したかった現世と天上界との交信にふさわしい場所なのではないだろうか。

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)


「春と修羅」序より

そして、ここの丘が位置する場所は、通称「狐森」。これは、賢治氏の愛した「狼森」「笊森」「黒坂森」「盗森」にも通じるものがある。

ここが、今までの考察から結論づけた最終稿における「天気輪の柱」のある丘なのである。


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