これは、通称「狐森」と呼ばれている近辺の拡大図である。
同年刊行の「盛岡市外鳥瞰図」には描かれていないものの、この丘の袂には「盛岡放送局」がある。
また、何であるのか、現段階では調べる術も無いのだが、上記(ページ最上部)の「盛岡市外鳥瞰図」の丘の中腹近辺には、電波塔か仏舎利塔のようなものが描かれている。
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日本でラジオ放送が開始されたは大正14年のことであり、翌年からは全国でラジオ放送が実施されている。
丘の下に放送局が位置することから、これはもしかして、この放送のための電波塔なのかもしれない。
電波を発する放送局、ないしは、その電波塔。
あるいは、丘の上に建っているものが、電波塔ではないにせよ、その麓には放送局がある。
これこそ、まさしく、賢治氏が表現したかった現世と天上界との交信にふさわしい場所なのではないだろうか。
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わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
「春と修羅」序より |
そして、ここの丘が位置する場所は、通称「狐森」。これは、賢治氏の愛した「狼森」「笊森」「黒坂森」「盗森」にも通じるものがある。
ここが、今までの考察から結論づけた最終稿における「天気輪の柱」のある丘なのである。
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